先日、千葉市の熊谷俊人市長(38)がツイッターで「男性保育士にうちの娘の着替えをさせないで」といった要望が出ている、と明かしました。
千葉市幼保運営課によれば、市内の公立幼稚園・保育園では、男性保育士が幼児のオムツ交換や着替えの業務を「外される」ケースが目立つといいます。
こうした状況について、熊谷市長は「女性なら社会問題になる事案です」と訴えています。
男性保育士に対する「性差別」にあたるのか
この件に関して「考えすぎ」「気にしすぎ」と言う有名人や識者の方もいらっしゃいます。
ある側面から見ると確かにそうなのでしょう。
私も上の息子を保育園に預けていましたが、男性保育士の方も多数いらっしゃり、皆さんとても真剣に保育に向き合っていらっしゃいました。
彼らが女の子の着替えをいやらしい意識を持ってさせていたとは考えられませんし、大多数の男性保育士がそうでしょう。
ただ、過去に男性保育士による女児に対する犯罪があったように、中には異常な性癖を持つ人もいるのかもしれません。
しかしながらそれは「男性保育士だから」なのではなくて、社会の中にそういった人が一定数潜んでいる、というだけで、99.9%の男性保育士の方は真摯に仕事に向き合っていると思います。
そんなことを言っていたら、中には男児のことをいやらしい目で見ている女性保育士がいる可能性だって同様にあるわけですし、産婦人科医なんてどうなっちゃうのよ、という話にだって広がっていくわけです。
そう考えれば、「保育園に預けているから」犯罪に巻き込まれるリスクが高まるということはなく、確かに
「考えすぎ」「気にしすぎ」
なのです。
でも本当にそれで片づけてしまっていいのでしょうか。
男性を差別しているのではなく、女性側は不安なだけ
私の子供は男の子ですが、私自身女ですので、女の子を持つママの気持ちは大体わかるつもりです。
そして私は子供の頃、スイミングスクールで性犯罪に巻き込まれかけた過去があります。
従ってこの問題に関して単純に「考えすぎ」「気にしすぎ」と片づけるのはちょっと賛成できません。
私個人は、性差による仕事の分業は、あって然るべきだと思っています。
理由は以下です。
- 子供は、知識や経験、身体能力をもって犯罪を「自分で避ける」ことができない
- 犯罪白書によれば性犯罪の8割は男性が加害者である
- その理由は男性のほうが性欲が強いからではなく、力が女性に比べ圧倒的に強いため
- それにより男性は女性を自分より下に見ることが往々にしてあるため
男性は女性より力が強い。
ヒトという生物がそうできていることは誰にとっても明白でしょう。(例外もありますが)
そして本能的に強い生物が弱い生物を見下すというのは抗えない現象でもあります。
だからこそこんなにも「男尊女卑」が問題となり、「男女平等」が叫ばれているのです。
現に私の息子は子供ですが、大人の男性は怖いけど女性は全く怖くないと言います。
男である、女である、というだけでこれだけの差があって、女性であれば性犯罪に巻き込まれる可能性は4倍にもなるのです。
本能として自分を守ろうとする意識が強いのは当然ですし、自分の子供が女の子であれば神経質になるのも当然なんです。
現に男の子は比較的女性保育士に自分の裸を見せるのに抵抗はありませんが女の子は4、5歳になると男性保育士に裸を見せるのを恥ずかしがることが多いそうです。
もう、本当に本能としか言いようがないですよね。
男性を見下しているのではなくて、不安なんですね。
なぜ女性のほうが力が弱いのか
私は昔から、「なぜ、同じ人間なのに男と女でこんなに身体能力に差があるのか」と考えていました。
身体能力に差があるから男尊女卑なんてことになるのに、と。
生物界ではオスよりもメスのほうが強いことが多いのです。
人間は脳をより発達させるために妊娠期間が長く、出産後も子供を守り育てなけなければならない期間もものすごく長い。
馬などの哺乳類は生まれてすぐ立ち上がります。
馬の生まれてすぐの赤ちゃんのレベルは、ヒトの場合の2歳にあたるそうです。
従って女性にとっては子孫を残すためには「守ってもらう存在」が不可欠で、守ってもらうためには女性は相手よりも弱い存在でなければならなかった。
男性は力をつけることで自分のDNAを後生に残せるよう補助することができます。
つまりはもともとの目的は同じ。
お互いWinWinの進化であったはずなのに、この性差を考慮に入れずにうわべだけの「平等」にこだわりすぎるから問題になるのだと思います。
適材適所って大事
男性と女性は平等です。
それは当然です。
ただ、性差があるのですからできることに限界があることも当然です。
力や体力が必要となる仕事には男性が向いているし、
子供の面倒を見たりと細やかな気遣いができる仕事には女性が向いている。
潜在的にみんなそう思っているから、サービスを受ける側も安心感が違いますよね。
ただ、人間には個性がありますから、すべてを白か黒かで区別はできません。
グレーな部分があることも当然です。
男性保育士には男性保育士にしかできないことも多いでしょうし、子供たちにとっては男の先生と女の先生両方がいることが自然であるとも思います。
柔軟に適材適所という考え方をすべきなのではないかな、と私は思います。
良く、女性差別の事例として「お茶くみ」が問題になりますが、たとえば仕事中の個人的なお茶くみであれば、確かに飲みたい人が勝手に入れればよい、と思いますし、女性が淹れるものと決めることはおかしいと思います。
しかしお客さまが来た際に「女性のほうがリラックスしていただけるから」という理由でお茶を頼まれるかもしれませんし、そういったときは女性側も快く受け入れるべきだと思います。
力仕事を「男性がやるべきだ」と決めつけてやってもらうのではなく、「私では無理なのでお願いできますか」と頼りにしているからお願いするのだ、と伝えることができれば男性側も気持ちよく仕事ができますよね。
つまりは今回の男性保育士の問題についても「男性はこう」「女性はこう」と決めつけてしまうには難しい問題ではあり、現場レベルでの対応が重要でもあるのです。
働くほうも預けるほうも、お互いに必要な存在なのですから適材適所についてよく話し合い、譲歩しあうことが大切だと思います。
ただ基本的な決まりとして、医療現場同様、ありもしない犯罪の疑いを向けられる保育士を減らすためにも着替えの時は教室内に必ず2人以上の保育士を置く、などの配慮はあって然るべきなのではないかなあとは思います。
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